本記事は「身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発」“Project Cybernetic being”が主催したシンポジウムのレポート記事です。本レポートは、3部構成でお送りします。
レポート① “Project Cybernetic being”が目指す未来社会
https://cybernetic-being.org/articles/211015_cybernetic_being_symposium_1/レポート② 研究開発課題推進チームの活動紹介「CAを通じた人の能力拡張に向けて
https://cybernetic-being.org/articles/211015_cybernetic_being_symposium_2/レポート③ 研究開発課題推進チームの活動紹介「CAの社会実装に向けて」
https://cybernetic-being.org/articles/211015_cybernetic_being_symposium_3/
キックオフシンポジウムでは、研究開発課題推進チームの活動を紹介。CA基盤研究G、社会共創研究G、社会システム研究Gの3グループから代表者が登壇し、後半では、構想ディレクター(PD)である萩田紀博氏を招いたパネルセッションが展開されました。その様子をレポートします。
モデレーター小原和也(以下、小原):ここからは「サイバネティックアバターが描く未来社会」と題して、このプロジェクトで目指す未来について、パネルディスカッションを進めていきたいと思います。ここからは、プログラム・ディレクターの萩田紀博さんにご参加いただきます。まずはこのプロジェクトに期待することをお伺いできればと思います。
萩田紀博(以下、萩田):萩田紀博と申します。ムーンショット型研究開発事業目標1のプログラム・ディレクターを務めています。
このプロジェクトは一言で言うと、若い。年齢を問わず心持ちの若い人たちが、新しい考え方でサイバネティック・アバターを解釈して欲しいと思います。私もロボットの研究に携わっていますが、この数十年でロボットの定義は大きく変わってきています。若くて柔らかい皆さまに新しい社会を作ってもらいたいと思っています。
サイバネティックアバター社会における肉体の持つ意味
小原:南澤さんにまずお伺いしますが、このプロジェクトが目指す未来に進むにつれ本来の肉体が持つ意味はどうなっていくのでしょうか?あらためて、
南澤:このプロジェクトに取り組む中で、人間の未来はデジタル空間と繋がってアバターを使うから肉体はいらなくなってしまうのではないか、脳みそだけでもいいんのではないかと聞かれることがやはり多いのですが、私自身は明確にそうではないと考えています。
我々がアバターを通じて何かを経験しそれを身につけるという目的は本来、自分自身の成長であったり、自分の人生経験を多様にし、高めることにあると思っています。なので、本来の肉体があってこそのアバターだと思っています。どんな肉体であっても、このアバターを道具としてうまく役立てていくことで自分自身の多様性と経験を広げていけるようにしたいと考えています。
人間が世界と触れ合うためのインタフェースとして身体があり、その身体にはいろんなかたちがありえるでしょう。いろんな身体を使って自らの人格や意思にあらゆる人生経験を集約する場所として自己の存在は大事にしていきたいという価値観ですね。
アバターロボットにおけるオートとマニュアル
小原:では、江間さんにはOriHimeを使ってご参加いただいていますが、実際に操作してみての率直なご感想をお伺いできればと思います。
江間:実はこのプロジェクトがキックオフしてから、これまでもプロジェクトメンバーの方々に直接お会いしたことは1度もないんです。OriHimeを使うのは今回で2回目なんですが、OriHimeは自分のタブレットからも操作できるため、ユーザーインタフェースが非常に分かりやすいなと思っています。会場の皆様のお顔も見えますし、会場の雰囲気もよく伝わるため一緒にいる感覚が強いですね。
小原:では、今後サイバネティック・アバター社会を考えていく上で、実際に分身してご参加されている江間さんの観点から課題となりえそうなこととはどのような点にあるとお考えなのでしょうか?
江間:例えばnewmeや、分身ロボットカフェで動いているタイプのロボットのように、動き回れたりすると可能性は広がるかと思うのですが、動き回るためには大変なことが多いと思うんですよね。以前、newmeを操作した時は車の運転のような幅感覚や距離感を掴みづらい感覚を覚え、慣れるのに時間がかかってしまいました。また、初めて動いているところを見る人は自動で動いているのか、誰かが操作して動いているのかがわからないため、怖いと感じてしまうことがあるかもしれません。
さらに、私自身が操作していると言ってもある程度自動制御される部分があるため、そのバランスをどうとるのか、複数人が同時に接続して動かすとなった時に誰がどのように主導権を握るのか、操作者間の連携をどのように実現できるのかなど、いくつか重要になりそうなポイントがあるかと思いますね。
オリィ:分身ロボットカフェで働いているOriHime-D(オリヒメディー)の場合、基本的にオートとマニュアルの2種類の操作方法があり、オートの場合はライントレースを採用しています。店内にラインが引かれているため動かしやすいですし、お客さんから見てもどこを移動するのかわかりやすいというメリットがあります。
逆にマニュアルの場合はラインから外れて動くため、他の人からもいまはマニュアルで操作されているのかとわかるはずです。最初はオートに慣れてもらってから、マニュアルの操作を覚えてもらうように操作できる範囲にステップを用意していますね。ゆーちゃんは慣れましたか?
ゆーちゃん:私はまだ慣れていないため基本的にオートで使っています。ただ、マニュアルであればラインのないところでも自由に動けるため、場面に応じて使い分けています。マニュアルで動かす時は、自由にいろんなところにいる人とお話しに行けるので好きですね。
深堀:オリィさんがおっしゃっていたオートとマニュアルという呼び方はとてもいいなと思いますね。newmeの場合はVisual SLAMを導入して、障害物などは使う人が操作して避けなくても自動で避けながら進めるように開発しています。どの地点まで移動したいという意思は操作する人にあるはずなので、そこはうまくアジャストして自動で動く場面と自ら操作して動かす場面のバランスを調整できればなと。
また、技能融合研究Gの発表に関連しますが、上手に操作する人の動き方を模倣学習して他の人でも使えるように共有できるようになればより発展していくのかと思います。
操作する主体感と自分らしさ
南澤:私たちが身体を動かす場合でも無意識のオートノミーのようなものがあるかと思います。その意味で、アバターロボットが自分の身体となるためには全部意識下で動かすのではなく、無意識に動く部分もうまく馴染ませていく方がいいのかもしれんませんね。
オリィ:たしかに普段歩く時にも、右足を前に出して次に左足を前に出して…と、全てを意識的に動かすとなると大変なはずです。もちろん全てライントレースでいいわけではないので、そこに選択の余地があることが自分らしさに繋がるのかなと。全てオートメーションで動くなら分身ロボットカフェで働くメンバーも自分でやった感が得られないので、その自らやった感をどのように残していくかを今後さらに検討してければと思います。
南澤:たしかに、操作する人の主体感はすごく大事にしていきたいですね。これはこのプロジェクト全体に共通して重要になってくる概念かもしれません。
起こり得る法的課題
小原:では我々が身体を複数持つようになった場合、法制度的な側面で今後どのようなことを検討していかなくてはならないのでしょうか?
赤坂:我々の身体はある意味ではモノとして人格の発露のために必要な媒介であるわけですが、そもそも我々の「身体」を法がどのように捉えるのかについてまず考えなくてはなりません。新しい身体になり得るものが人格にどれだけの影響を与えるのか、人格の発露に関わるのか、それを制限することで人格的な利益に対してどれだけの影響があるのかなどについての議論なくして、身体が単に増えるからこれまでの肉体同様に扱いましょうとは法制度的にはならないはずです。
また、身体が複数化すると1つ1つに対する没入感が薄れる可能性も考えられます。そうなると事故が起きやすくなってしまうかもしれないですし、その際の責任の処理についてまだ整理できていません。そういったことから検討していかなくてはならないかなと思います。
赤坂:2020年10月に欧州委員会が、AIと人間が関与した事故が起きた際の民事責任についてルールをつくりましょうと、AIシステムに関する民事責任レジームを公表しました。現時点では法的拘束力は全くないものですが、そこではオペレーターという概念を新たに設け、操縦者とバックエンドを支える人に責任を分割して与えようという提案がなされています。国内外の事例を参考に、日本の法規則的にどのようなルールがありえるのかは考えていきたいですね。
深堀:余談ですが、newmeの操作を練習するための場であるnewmeのトレーニングセンターでもアルコールを飲みながら参加される方いて、その人が操作するロボットも酩酊しているかのようにふらふらと動くんですよね。事故を防ぐためにも、何らかの条件を設けて使えないようにした方がいいのか、酔っ払っていても使えるアシストモードを用意した方がいいのか、avatarinとしても検討していきたいです。
どのような価値観を提示していくべきか
小原:たしかに旅行体験などのコンテンツであれば、お酒を飲みながら楽しみたいという方は出てくるかもしれませんね。深堀さんにお伺いしたいのですが、こういったサービスが普及していくためにどのような価値観を提示できると世の中にポジティブに受け入れられるようになるとお考えですか?
深堀:こういうロボットを開発していると軍事企業からの問い合わせも少なくありませんが、我々としては平和利用をポリシーにしていきたいと考えています。また、サービスだからと言って儲けばかりを意識するのではなく、使い方を含めてビジョンを示しながら新しいライフスタイルを提案することを意識するのは重要かなと。政治的に対立する国同士の子どもたちがアバターを使って第三国で平和学習をしてみたりしたらすごく面白いと思うので、未来に託す想いを乗せていくことは大事だと考えています。
小原:今深堀さんからライフスタイルという話がありましたが、オリィさんはどのような価値観を提示していく必要があるとお考えでしょうか?
オリィ:我々はずっと必要に応じてツールを開発したり使ったりしてきました。多くの人にとって高齢化による身体機能の低下は避けられないことですし、すでに直面している人はたくさんいます。 肉体を動かせなくなった時に、どうやって新しいことや人との出会いをつくっていくのかが大事になるはずです。そして、その出会いの先に次にやりたいと思えること、それを生きがいと言えるのかもしれませんが、そういった意思を発見し維持する装置は欠かせないかなと考えています。それは必ずしもロボットである必要性はないかもしれませんが、そういうものをつくっていくことはこれからもっと切実になるかなと。
これから先のことはまだまだ考えることが多いでしょうか、まずは先輩たちが自分らしく楽しく生きている様子をカフェに来て見て話を聞いてみてください。先輩たちも後輩のためにもいろんなことにこれからもチャレンジしてくれると思うので、そういうことを残していきたいと思いますね。
2050年に向けて
小原:サイバネティック・アバター技術が手に入りつつある世の中において、どのようなライフスタイルや関係性が生まれてくるのか、引き続き皆さんと共に考えていきたいなと思っております。
南澤さんにはこのプロジェクト全体を通してどのような風景を見ていきたいのか、どのようなことをつくっていきたいのか。本日のお話を統括してお伺いできればと思います。
南澤:シンポジウムを通して皆さまにも感じていただけたかと思いますが、いつかの将来から振り返って見たときにこうやっていまのふつうがつくられて来たんだと、あのときあそこからつくられて来たんだと思ってもらえるようなことに挑んでいきたいですね。より良い未来をつくっていきたいので、プロジェクトメンバーに限らず、多くの方々と共にサイバネティック・ビーイングという新しい自分たちの生き方を考えていければと思います。
小原:では最後に、萩田さんからこのプロジェクトに対してのコメントを頂戴できればと思います。
萩田:プロジェクトを始めると何らかのコンソーシアムを立ち上げることになりますが、そこで1番大事なことはわくわく感をどれだけ維持できるかです。このプロジェクトでも未来を期待するわくわく感を維持し続けて欲しいと思いますね。新しい技術が出ると技術的な課題はもちろんのこと、社会制度的な課題も当然起きます。何より利用する方の中にもさまざまな課題があるはずです。このプロジェクトに関しては提供者目線ではなく、利用者目線を第一につくり上げていって欲しいです。
また、人間は道具をもとに自らの能力を拡張・強化して来ました。サイバネティック・アバターも我々の生活を変えるでしょうが、その果てにはエネルギー効率上、問題が地球環境問題でありうるかもしれないので、自らの能力を拡張・強化するだけに過ぎず、調和の取れる範囲でのつくり方を考えていって欲しい。そしてその技術は一人一人の能力を拡げることだけでなく、その能力をもってして他の誰かを手助けし合えるような新しい互助のために使われて欲しいですね。サイバネティック・アバターが実現すれば、新しい働き方や生き方が無限に拡がっていくはずです。2050年になった時を楽しみにしながら、議論する場になって欲しいと願っています。