Cybernetic being Vision vol.4 ー コンピュータと融合する「自分」の境界線を旅する(笠原俊一)

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Cybernetic being Visionとは、ムーンショット型研究開発事業 ムーンショット目標1「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」の達成に向けた研究開発プロジェクト「身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発」の研究開発推進を担う研究者の思考に迫り、きたるべき未来のビジョンをみなさんと探求するコンテンツです。

 

笠原 俊一

株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所 リサーチャー・プロジェクトリーダー

 

博士(学際情報学)株式会社ソニーコンピュータサイエンス研究所 リサーチャー。2017年東京大学大学院情報学環博士課程修了。2008年ソニー(株)入社後、MIT media lab 客員研究員等を経て、2014年よりソニーコンピュータサイエンス研究所にリサーチャーとして参画。 2021年より、Superception Group を主宰。コンピュータによる知覚の制御や拡張 “超知覚 / Superception” を主題として「人間とコンピュータが融合した時、自分はどこまで自分なのか」を探求。研究成果はコンピュータグラフィクスやHuman-Computer Interactionの主要国際会議やテックカンファレンスでの発表に加え、研究の体験化作品の展示・テクノロジーの社会実装を行う。

ウェブサイト:https://www.sonycsl.co.jp/

プロジェクト『サイバネティック・ビーイング』は、サイバネティック・アバターによる認知の拡張や、複数の身体間の技能の融合を目指す。その中で重要になるのが、経験の保有・共有の方法だ。サイバネティック・アバターによって拡張された知能を持ち、融合した技能で行う行為を、私たちは「自分の経験」とすることができるのだろうか? さらには「自分」とはどんな概念になるのだろう? 経験共有研究グループの笠原俊一が探求するのは、コンピュータと融合した「自分」の境界だ。笠原は「自分」の境界線上を綱渡りするようなアート作品を多数制作することで、その存在を明らかにする。

 

人間の知性は、コンピュータと進化できる

私の専門はヒューマン−コンピュータインタラクション(HCI)、わかりやすく言えば、人間とコンピュータの相互作用を観察し、コンピュータを人間に使いやすいものにする技術をつくる研究をしてきました。プロジェクト『サイバネティック・ビーイング』では、まさにサイバネティックアバターを人間にとって使いやすいものにするための研究を…と言いたいところなのですが、私の興味はもう少し根源的なところにあります。

 

従来のヒューマン−コンピュータインタラクションの考え方は、人間の使いやすいようにコンピュータのインターフェースを改良・改善しようというアプローチが主流でした。このアプローチの前提は、人間はコンピュータによって変えることのできない、不変の存在であるということです。しかし、実際の人間は不変どころか非常に柔軟です。若い人たちがスマートフォンのキーボード入力にいち早く適応し、目にも止まらない高速タイピングをやってのけることはもう日常の風景ですし、人工知能に仕事を奪われるどころか、使いこなしてクリエイティブなアート作品を生み出すアーティストもいます。つまり人間の知性はコンピュータを改良したり、従わせたりしなくても、コンピュータに合わせて自らを変化させることができる。つまり人間はコンピュータと融合し、進化できる生命体だということです。

 

こうしたことを目の当たりにするにつれ、「コンピュータを、人間を変えるテクノロジーと捉えた方が面白いのではないか?」と考えるようになりました。
コンピュータを人間の道具ではなく、私たちの「介在者」と捉えることで、まったく新しいインターフェースが見えてくるのです。

 

超知覚で探求する「自分」の境界

人間とコンピュータの融合と聞くと、かつては「いかにもサイボーグ」なものを連想しました。しかし実際の融合はもっと多様です。
脳とデバイスを直接繋いで操作する「ブレインコンピュータインターフェイス(BCI)」のような具体的な融合から、電動義手のような身体の補綴もそうです。さらにはバーチャルリアリティにデジタルアバターを通して関わるというようなものもコンピュータとの融合と捉えられます。これから私たちは、人間とコンピュータが複雑に融合した社会を普通に生きていくことは容易に想像できます。

 

そうした人間とコンピュータの融合が当たり前になる未来、一体どこまでが「自分」なのでしょうか? さらには、これから自分というものは一体どんな概念になるのでしょうか? そうして生まれたのが私の研究テーマである「Superception(超知覚)」です。
知覚とは、視覚、聴覚、触覚からの情報によって、この世界から意味を取り出す働きをします。私たちは捉えた意味によって、様々な判断や行動をします。そしてその主体感が「自分」です。ではコンピュータと融合したとき、「自分」はどうなっているのでしょうか? いくつかの実験から見ていきましょう。 

この「Wired Muscle」というシステムでは、一般的には難しい「ペンドロップ」を、コンピュータと融合することで誰にでもできるタスクにするという実験をしています。

 

ペンドロップは、他の誰か(ドロッパー)に合図をすることなく落としてもらったペンを、自分(キャッチャー)が掴むというタスクです。実際やってみると分かりますが、ほとんど掴むことができません。
その理由は、人間には視覚刺激に基づいた動作の発生には約250ミリ秒(ms)を要するというハードウェアとしての限界があるためです。この時間では、ドロッパーの動作に反応する間もなくペンは落下してしまいます。

 

そこで筋電図(EMG)計測と電気的筋肉刺激(EMS)が可能な特殊なデバイスを用いて2人の筋活動をつなぎ、ドロッパーがペンを落としそうになった時に、キャッチャーの筋肉を駆動するようにしました。つまり通常は目で見た視覚情報を脳が処理し、手の筋肉を駆動する、という動作をコンピュータによってすっとばしたのです。

 

こうして他者の動作に対する反応時間を約60msに短縮することで、誰でもペンドロップに成功できるようになりました。
この実験が提起するのは、一体どこまでが「自分の行為」なのかという問題です。たしかにペンを掴んだのは自分の動作です。しかしその動作を駆動しているのはコンピュータを介した他人の動作なのです。

 

このように、コンピュータと融合したとき、行為の主体性はきわめて曖昧になってしまいます。

次に、知覚の主体性である自分は、どのように決まっているのかを問う作品を紹介します。鏡の中の自分の姿が突然他の誰かに変化したら、どんな気持ちになるか想像したことはありますか?

「Morphing Identity」は、対面するふたりの顔が、緩やかに入れ替わっていくという体験を提供する体験型のアート作品です。
この作品では、人工知能を用いて、人間の変化知覚特性に基づいた映像処理をリアルタイムで行っています。これにより、被験者は変化を知覚することなく、なめらかに自分と他人が入れ替わってしまう体験をします。

 

体験中、被験者は相手が自分を演じていたり、自分が相手を演じていたりすることを経験します。その中で被験者は「自分」という概念が簡単に揺らいでしまう事実に遭遇します。

 

Wired Muscleではコンピュータの介入によって行為の主体性が曖昧になることを示しました。Morphing Identityでは、コンピュータの介入によって、自分の行為を肯定する身体が他人の身体になったとき、「自分」というものをどのように肯定できるのかを問います。そして、コンピュータと融合することで、「自分」は簡単に揺らぐことを示しています。

 

これは同時に、「自分」というものは身体と結びついていなくても成立し得る、柔軟な概念である可能性も示唆しています。

 

ふたりの人間と卓球をプレイする

プロジェクト『サイバネティック・ビーイング』では、経験共有研究グループに所属しています。サイバネティック・ビーイングを使いこなすとき、私たちはどこまでを「自分」の経験とすることができるのかを、Superceptionを拡張し、探求したいと考えています。

そのための物理的プラットフォームとして開発したのが、「Parallel Ping-Pong」です。

Parallel Ping-Pongでは、ひとりの被験者が、2つのロボットアームを操作し、ふたりの人間と卓球をプレイします。これを「パラレル・インタラクション」と呼びます。

 

想像してみれば分かりますが、生身の身体であれば超難関のタスクです。しかしここにコンピューティングとの融合があると、状況は大きく変わるということをParallel Ping-Ponでは示しました。結論から言うと、ふたりの人間と卓球をプレイすることはもちろん、それを「自分」の経験とすることも、可能です。

 

 

被験者は、ヘッドマウントディスプレイを着用し、バーチャルリアリティを介して、ロボットアームの視点映像を見ます。そしてその映像によってロボットを操作し、卓球を行います。これにより、ふたつの視点をひとつのVR映像とみなしてプレイすることが可能です。

 

 

ずいぶんやりやすくなりますが、これだけではまだ大変です。そこで、ロボットアームが自動で球を追尾し、自動で打ち返す、というアシストを行います。これにより、誰でもふたりの人間と卓球をプレイすることができるようになります。

 

しかし、ロボットアームが勝手に打ち返しているのであれば、行為主体感はどうなるのでしょう? 結論としては、人間はアシストを入れられても、行為主体感を感じ、自分の経験にすることができます。ところが、アシストと被験者自身の動きをうまくブレンドしなければ行為主体感が失われるということがわかりました。

 

アシストが弱すぎるとそもそもふたりと卓球をすることはできません。一方、アシストが強すぎると、タスクはこなせても、行為主体感が失われるため、被験者は「ふたりの人間と卓球をプレイできた」という経験を得ることができないのです。
この実験における重要な発見は、被験者の行為主体感が損なわれないように、コンピュータと融合することで、被験者は行為主体感を感じ、経験も固有化できるということです。

 

この実験からプロジェクト『サイバネティック・ビーイング』で取り組む課題がたくさん抽出できたと感じています。今後は、サイバネティック・ビーイングをつくる設計案に落とし込んでいくことが課題です。

 

人間の意識はひとつなのか?

 

人間の意識はひとつなのでしょうか? 実はまだよく分かっていません。ただ、私の仮説としては、人間の意識はひとつだと考えています。
意識がひとつであれば、並行するタスクを同時に行うことは難しいはずです。しかし、Parallel Ping-Ponの収穫のひとつは、並行(pararrel)ではなく、並列(concurrent)にすることで可能になるということです。

 

Parallel Ping-Ponは、一見するとひとりの人間が並行する複数のタスクをこなしています。しかし被験者である人間の知覚上では、VR空間上で並列に並べられたひとつのタスクをこなしていることになります。つまり、知覚上で並列化を行うことが、プロジェクト『サイバネティック・ビーイング』が目指す技能の融合や並列化の鍵になるということです。

 

その成功は、人間の意識がひとつであることに何らかの証左をもたらすかもしれないですし、私の「自分」の探求の、何らかの道標になるかもしれません。

 

 

 

(聞き手・文 森旭彦、聞き手 小原和也)

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