Cybernetic being Visionとは、ムーンショット型研究開発事業 ムーンショット目標1「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」の達成に向けた研究開発プロジェクト「身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発」の研究開発推進を担う研究者の思考に迫り、きたるべき未来のビジョンをみなさんと探求するコンテンツです。
鳴海拓志
東京大学大学院情報理工学系研究科准教授
1983年、福岡県生まれ。2006年東京大学工学部システム創成学科卒業。2008年同大学大学院学際情報学府修了。2011年同大学大学院工学系研究科博士課程修了。博士(工学)。バーチャルリアリティや拡張現実感の技術と認知科学・心理学の知見を融合する研究に取り組み、多様な五感を提示するクロスモーダルインタフェース技術や、人間の行動や認知、能力を変化させるゴーストエンジニアリング技術の開発を推進。文部科学大臣表彰若手研究者賞、日本バーチャルリアリティ学会論文賞、文化庁メディア芸術祭エンターテインメント部門優秀賞など、受賞多数。
プロジェクト『サイバネティック・ビーイング』は、人間の質的な拡張が鍵を握る。その中でも、特殊な立ち位置にある研究グループが認知拡張研究グループであり、「現実編集者」鳴海拓志が開発するのは、身体性と社会性の認知的拡張技術である。最先端のVRを用いた認知科学の世界では、人間は「もうひとつの身体」アバターを用いて未知の能力を獲得し、「自己」を拡張し続けている。私たちの自己の冒険はどこへ向かうのだろうか。
身体は感覚でできている
私はこれまで、VRに関する研究をしてきました。その中でも、人間の感覚をVRで“編集”し、現実の認識を変えてしまうような研究を数多く行ってきました。その結果から分かってきたことは、身体性というのは、実は感覚でできているんだということです。
たとえば「Unlimited Corridor」という実験は、現実には存在しないはずの、長い廊下を歩く感覚を、VR(バーチャルリアリティ)によって体験 の中につくりだすというものです。
体験者はヘッドマウントディスプレイをつけます。そこにはまっすぐの廊下が映し出されています。現実で一歩進めば、VRも一歩進んだ風景が見えるようになっています。
体験者は映像を見ながら、現実にある壁に手をあてて歩きます。VRでは直線の廊下と壁の映像が見えているけれど、現実の廊下と壁は湾曲しており、円柱を縦半分に切ったような形になっています。ここにトリックがあり、現実で一歩進んだときの視界の動きがまっすぐでも、VRでは壁に沿って歩いているように少し曲がって歩く映像を見せます 。普通に考えれば、被験者は曲がった壁に触れながら、湾曲した廊下を歩いていくという身体的経験をするはずです。
しかし、体験者は、VR上のまっすぐな廊下を歩いたという仮想の経験を、実際の身体的経験だと感じてしまうのです。
この実験が示すことは、私たち人間は、実際の身体がどう動いたかという身体的経験よりも、目で見た身体の動きなども考慮して頭の中で作り上げた仮想の身体を基準に世界を経験しているということです。
私たちの身体性は、実は私たちが思っているほどゆるぎないものではないのかもしれません。むしろ私たちの脳は「この身体」以外の身体で経験したことも、自分自身の経験として受け入れることができる柔軟性を持っていることが明らかになってきているのです。
アバターを通して未知の能力を獲得する
一般的に私たちは、身体というものがあり、その身体がゆるぎない感覚を生み出し、その唯一の身体が、獲得できる能力を規定していると考えています。しかし、最先端のVRの研究から、私たちは「現実の身体」ではなくバーチャルな身体、アバターを通して新しい感覚や能力を獲得できることが分かってきています。
VR上の身体であるアバターの外見が特定の自己イメージを呼び起こすと、ユーザの内面である能力や振る舞いに影響を与えることがさまざまな研究で実証されています。たとえば海外の先行研究では、アインシュタインのアバターに没入することで、実験参加者の認知能力が向上するという実験結果が報告されています。
私たちは、より身体的な能力にアプローチすべく、アバターが重さの知覚にどのような影響を与えるかを実験で確かめました。実験参加者にはヘッドマウントディスプレイを通し、ムキムキの「筋肉質アバター」、「標準アバター」そしてガリガリの「細身アバター」を身に着けてもらいます。そしてそれらのアバターに没入した状態で、現実の身体を使って、実際のダンベルを持ち上げてもらい、重さの知覚にどのような変化があるかを定量化しました。
すると、同じ重さのダンベルでも、筋肉質アバターを使っているとき、参加者は軽く感じ、細身アバターのときは重く感じるという結果になりました。この研究は、重さの感じ方や筋肉の使い方が、自らの外見に影響を受けて変化するということを示しました。
私たちはさらに人間からかけ離れたアバターの効果も研究しました。その研究では、空を飛翔するドラゴンのアバターを使って、私たち人間が通常持っていない、高所を飛行する能力を仮想的に獲得することで、高所における恐怖心を克服できるかを検証するというユニークな実験を行いました。
すると、ドラゴンのアバターで飛行した経験を持つことによって、実験参加者には高所に対する恐怖、落下への不安、さらに自身の頑強さに対する心象の抑制および改善が認められました。
これらの実験結果が示すことは、私たちの認識・能力の多くの部分は実身体ではなく、感覚を通して知る身体の認識に依存して生み出されているということです。つまり感覚さえつくることができれば、私たちの身体的な認識・能力はいかようにでも変えられるのではないかということが、現在の研究から見えてきているということです。
拡張すべきは、自己の物語
プロジェクト『サイバネティック・ビーイング』は、サイバネティックアバターというもうひとつの身体を通して身体的共創を実現することがビジョンとして掲げられています。そして私たち認知拡張研究グループでは、身体性と社会性の認知的拡張技術の開発を通し、身体能力だけではなく、心や社会性を拡張するチャレンジを進めています。つまり、量的な側面だけではなく質的な認知の拡張を実現していこうということです。
これまでの研究から、今後私たちが拡張すべき「自己」が見えてきています。
これまでお話してきた、いわゆるVRで拡張できる自己は、哲学や認知科学の世界で「ミニマル・セルフ(minimal self)」と呼ばれているものです。感覚経験の集合であり、「今、自分はここに確実に存在する」と信じられる最小限の自己のことです。そしてミニマル・セルフは、この身体は自分の身体であり(身体所有感)、アクションをしたのは自分だという実感(行為主体感)に支えられています。
先に紹介した研究では、私たちは特定の実験系においてミニマル・セルフを変え、これを拡張することが新しい認知や能力の獲得につながることを示しました。しかし、人生を豊かにするような変化を与える拡張は、また別の問題、別のレイヤーの自己にアプローチすることが必要です。
人生を変えるような質的な認知拡張では「ナラティブ・セルフ(narrative self)」と呼ばれる、より上位概念の自己にアプローチすることが重要だと私は考えています。ナラティブ・セルフは幼い頃の自己、成長する自己、大人になった自己など、過去から未来にわたる記憶と予測による物語で形成されている自己です。ナラティブ・セルフはアイデンティティや美意識など、より長期的・社会的な観点から自己を規定する上で欠かせないものであり、私たちの人生に深く結びついています。
現在のVRや認知拡張に関する研究のほとんどで、ナラティブ・セルフのことは考慮されていません。哲学や認知科学では扱われていますが、認知脳科学などの実践的な分野ではまだ言及することが難しいとされています。それゆえ、このプロジェクトではナラティブ・セルフの拡張について取り組んでみたいと思っています。
私は、人の内面が身体によってどう変わっていくかという研究をずっと行ってきました。これまではベースのモデルや個々の事象を考える研究が主だったのですが、プロジェクト『サイバネティック・ビーイング』では、それらを社会と結びつけ、より実践的・学際的に扱うことが求められます。
社会で使われる技術にするために、認知拡張には何が必要か。そして認知拡張は社会に何をもたらすか――。それらを人間にとって豊かな進歩とするための、壮大な冒険をいま、進めています。
(聞き手・文 森旭彦、聞き手 小原和也)