触覚研究が拡げる、身体と経験の共有 Cybernetic being Meetup vol.03 レポート

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 第3回を迎えるCybernetic being Meetupのテーマは「経験の共有」。人が身体を通じて感じる触覚や力覚を記録・共有する技術を起点に議論が展開されました。触覚情報が社会の資産として流通するようになったときの人々の暮らしや、そこから生まれる新たなビジネスの可能性とは? ゲストは、NTTドコモ 石川博規さんと、触覚提示技術を開発する株式会社commissure CTOの堀江新さんです。

「触覚共有」の可能性

南澤孝太PM(慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科・教授)

 人の身体感覚を再現、伝達するための研究やプロダクトがさまざまにあるなかで、それらがなかなか社会に浸透してこなかった現実があることを紹介する南澤孝太PM。2010年以降には振動の伴うゲーム機のコントローラーが登場しますが、「Project Cybernetic being」は、よりリアリティの伴う体験の創出に向けて研究開発を推進してきました。「そこにないものでも、実際に触れているように感じられる」という感覚を喚起する触覚研究。そのひとつに、株式会社NTTドコモの「FEEL TECH®プロジェクト」があります。

CES 2025で好評を博したハプティックデバイス「FeelFuse™」

 人間のスキルや感覚をネットワークで拡張する「人間拡張基盤」をベースに、NTTドコモは、人間の細胞と神経が感知した内容をデジタルデータに変換し、伝送・再現することを可能にするFEEL TECH®に取り組んできました。離れたところにいる人と触覚を共有するだけではなく、例えばプロのスポーツ選手がラケットを握る感覚を共有することで技術習得やスキルアップが期待できたり、赤ちゃんを初めて抱いた感覚をデータで記録しておくことで、いずれ子どもが成長したときに赤ちゃんの頃のぬくもりを伝えることができるなど、新たなコミュニケーション文化の創出へ期待が寄せられています。

石川博規(株式会社NTTドコモ モバイルイノベーションテック部)

 NTTドコモのモバイルイノベーションテック部に所属する石川博規さんは、「伝えたいことが、きちんと伝わる世界をつくれないか?」という想いがFEEL TECH®プロジェクトの根底にあるといいます。

 

 「これまでのメディアでは視覚と聴覚に頼ったコミュニケーションがなされてきましたが、それらだけでは伝えられない物事が世の中にはたくさんあります。限定的な情報伝達によって、SNSでの『炎上』のように、送り手と受け手の齟齬から生まれる現象も多々目にします。情報をそのまま伝送するのではなく、受け手の状況や文脈に合わせて調整し、相手が理解できるかたちで届けるという姿勢を持つようにしています」(石川)。

 

 人やロボット同士の大きさや骨格などの身体データを比較し、その差分を考慮した『動作共有』。受け手の触覚に対する感度特性をふまえた『触覚共有』。受け手の味覚に対する感度特性をふまえた『味覚共有』。これらのアプローチを皮切りに、感情や感覚、筋肉(筋変位)、そして脳波など、さまざまな身体情報を扱いながら触覚共有のサービス化を目指すNTTドコモ。触覚という情報を、受け手の身体や感じ方に合わせて変換して届けるという姿勢は、収益化においても重要なものです。

 

 「近い将来、ECサイトで洋服などの商品の手触りを家にいながら体験して、複数商品同士の比較もできるといった自由な買い物ができるようになるかもしれません。ただ、ここまで携帯電話やスマートフォンが普及した世の中で、NTTドコモとして、それらを超える体験を世の中に提供できるのかという大きなハードルがあります。また、視覚や聴覚、触覚などの身体感覚は加齢に伴って衰退してしまうものなので、幅広い世代を対象にしたサービスのなかでうまれるギャップも考慮に入れる必要があります。企業の意思決定という点においても、比較的年齢層の高い経営層と現場レイヤーとの間に身体的なギャップはある。ただ、逆に考えれば、そのように衰えてしまう感覚を補うものとしての可能性もFEEL TECH®にはあると思っています」(石川)。

 

※「FEEL TECH」「人間拡張基盤」は、株式会社NTTドコモの登録商標です。

触覚提示技術がつなぐ未来

堀江新(株式会社commissure代表取締役CTO/慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科特任助教)

 株式会社commisureの代表取締役CTOとして、また慶應義塾大学大学院メディアデザイン研究科の特任助教として、「触覚のMixed Reality」とも謳われる触覚提示技術「FeelFuse™」の開発に取り組む堀江新さん。FeelFuse™は、手首から指先にかけてハプティックデバイスを装着することで、バーチャル空間でモノを持ったり振ったりしたときの感覚を体験できる技術です。ハプティックデバイスが皮膚を変形させることで力の強さや重量感を再現したり、指先に振動などの刺激を与えることで「さらさら」「ザラザラ」といったテクスチャーまで表現できるといいます。

 

 「FEEL TECHの今後の展開に関する議論のなかで、動物を撫でる、抱き上げるといった触感を再現できないかという話が挙がり、私たちの技術を提案しました。そこから、FeelFuse™初披露の場となった世界最大級のモバイル関連展示会『MWC2024』において、来場者がバーチャル空間にいる犬に触れたり、一緒に散歩に行ったり、そこに鳥が飛んできたりといった、動物と戯れる体験展示を行いました」(堀江)。

 

 デバイスそのものの感触がノイズにならないよう、またデバイスを装着したまま実際のモノを持つことが可能となるようにデザインされたハプティックデバイスは、手をすっぽり覆ってしまう従来のVRグローブとはまったくちがうものであることがわかります。世界最大規模のコンピュータグラフィックスとインタラクティブ技術の国際学会であるSIGGRAPH(2024)では、実際のモノを持ちながらデバイスが再現する触覚を感じるというデモンストレーションを200名ほどの来場者に体験してもらったといいます。また、同じく世界最大規模のテクノロジー見本市であるCES(2025)では、「離れていても触れられる」ことをより体験してもらうため、完全なVRではない、身体は会場にありながらもバーチャル空間に手を伸ばして触れるという展示が行われました。来場者の関心や評価は高く、今年の4月にはフランスのラヴァルでの展示も予定されているといいます。

 

 「一連のプロジェクトでは、インターンの学生たちがとても活躍しています。また、ハプティックデバイスのデザインを担うSPLINE DESIGN HUBとの協業によって、よりスピーディーに開発が進んでおり、産学連携の新しいモデルを提示することができるのではないかと思っています。ビジネスへの活用について問い合わせを多くいただくなかで、今後は、これまで蓄積してきたノウハウを活かし、触覚デザインのガイドラインの提供や、新しいセンサーの開発を進めていく予定です」(堀江)。

バーチャルとフィジカルの交差点

 クロストークでは、AIを始めとする情報化時代における触覚の価値というテーマが、南澤より投げかけられました。

 

 「われわれが再現したいのは物理現象そのものではなく、それによって引き起こされる感情や、認知に関わる感覚です。そのため、ただ何かのモノに触れたり持ち上げたり撫でたりしたときの感触のデータだけを集めても、本質をつかみきれないという難しさを感じています」(堀江)。

 

 「確かに、固定したモノを触ることと、生き物を触ることは違いますよね。生き物に触れるとき、そこには触り/触られという関係性がある。相手の反応によって触覚も変わる、双方的な感覚だと思います。石川さんは、触覚というもので人とつながること、FEEL TECHを進めることにどんな意義があるとお考えですか」(南澤)。

 

 「VR上のモノに初めて触れたとき、情報に“命が吹き込まれた”という認識を抱きました。フィジカルであることだけが本物なのではなく、バーチャルなものが全部偽物なのでもない。相手が実在するということを身体をとおして感じることで、離れた場所にいる人に対する尊重や配慮といった意識が芽生えることに価値があるのだと思います」(石川)。

「FeelFuse™」を活用したデモ体験

 バーチャルという言葉の本来の意味は「本質的」であるということ、相手に触れたり相手が自分に働きかけてくるというコミュニケーションの本質は、バーチャルリアリティにおいても変わらないことを南澤は強調しました。

 

 「とある旅館では、料理を運ぶときに途中までは自動搬送システムを使い、客室への最後の5メートルだけを人間が行うというオペレーションが実践されています。すべてを機械化/自動化することは楽でもあり低コストでもあるかもしれないなかで、人と関わる部分は人が担うんです。触覚技術も、そのような浸透の仕方があるかもしれないと思いました。陶芸のような難しい手仕事やモノづくりにおいて、ハプティックデバイスが『少しだけ』力を加えたり整えたりしてくれるような」(南澤)。

 

 「人間のように触れるというフィジカルな動きは、ロボットが日に日に獲得しているようになっていると思います。そこからさらに、『空気や間を読む』『雰囲気を感じる』といった技術を再現できるかどうか。オンラインで初対面の人と話すとき、互いの感情や感性を伝達することができるかといったような。相手が纏う空気、その機微を肌で感じられるというところまで触覚技術を昇華させていきたいです」(石川)。

 

 「物理的な触れ合いは、デリケートとも言える身体情報が高速にやり取りされるコミュニケーションでもあります。それらが蓄積されることで、人と人を結びつける感情やナラティブが形成される。フィジカルな触れ合いのかたちと、当事者たちの関係性といったようなものをセットでデータ化することで、触れ合いの前後にある文脈を明文化することができるようになるかもしれません」(堀江)。

 

 フィジカルな体験やインタラクションを入り口に、感情や感性、バーチャルなコミュニケーションといった世界につながる触覚研究の可能性を確かめるMeetupとなりました。

 

 当日のイベント内容を詳しく知りたい方は、下記のYouTubeのアーカイブから、配信の様子をご覧いただけます。

文/長谷川智祥

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