Cybernetic being Visionとは、ムーンショット型研究開発事業 ムーンショット目標1「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」の達成に向けた研究開発プロジェクト「身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発」の研究開発推進を担う研究者の思考に迫り、きたるべき未来のビジョンをみなさんと探求するコンテンツです。
江間 有紗
東京大学 東京カレッジ 准教授
東京大学未来ビジョン研究センターを経て、2023年11月1日より現職。2017年1月より国立研究開発法人理化学研究所革新知能統合研究センター客員研究員。専門は科学技術社会論(STS)。人工知能やロボットを含む情報技術と社会の関係について研究。主著は『AI社会の歩き方-人工知能とどう付き合うか』(化学同人 2019年)、『絵と図で分かるAIと社会』(技術評論社、2021年)。
テクノロジーは社会を大きく変える力を持っている。しかしその力は時として、人間を良い方向へ導かないこともある。テクノロジーだけではなく、それを受容する社会のシステムの構築が、テクノロジーと人間のより良い関係性をつくる。社会システム研究グループに所属する、東京大学で科学技術社会論を研究する江間有沙は、サイバネティック・アバターによる社会的な身体的共創を実現するための社会システムを模索している。
無意識の偏見を、VRで共感する
私は科学技術社会論という分野の研究者です。「アンコンシャス・バイアス」、つまり無意識下の偏ったもの見方がどのように生まれるのかを研究し、これを是正するための社会的な仕組みづくりを提案・実践しています。
アンコンシャス・バイアスは社会のあらゆるところに隠れています。たとえば、スマートデバイスなどに搭載されている、いわゆる「ボイスアシスタント」は、なぜ多くの場合、女性の声が好まれるのか。最近は少なくなったかもしれませんが、どうして黒人の人は無条件に「歌が上手い」と思われることが多いのか。どうして男性は仕事を、女性は家庭を大切にすることが社会では前提になっているのか。これらアンコンシャス・バイアスは、ジェンダーの認識や多様性を含む、さまざまな社会的認知に強い影響を与えますが、意識下にない偏見ですから、なかなか気づくことができません。
そこで、VRを「共感デバイス」として活用し、アンコンシャス・バイアスに介入を行う研究を進めてきました。東京大学未来ビジョン研究センターでの、VRコンテンツを用いたワークショップ「VRでアンコンシャス・バイアスへの気づきを促せるか?:子育てを取り巻く仕事環境を考えるワークショッププロジェクト」もその一例です。「共働きでも男性は家庭より仕事を優先すべきだ」というアンコンシャス・バイアスが、社会にどの程度あるかを調査するために、内閣府の男女共同参画局が主導するプロジェクトです。
このワークショップでは、VRコンテンツに没入し、いわゆる「部下」の男性の子育て体験ができます。帰宅して子供の面倒を見ていたら上司からメールが届くといったシチュエーションがVR上に用意されており、子育て中の男性部下が直面するさまざまな状況を自分事として体験できます。また、体験者同士で意見を交換するワークショップも開催しました。
また、プロジェクト「サイバネティック・ビーイング」にも関わっている、オリィ研究所とコラボレーションし、ひとのロボットへの接し方をデザインする研究も進めています。オリィ研究所の分身ロボット、OriHimeにはインターネットを介して遠隔からログインでき、実際にひととコミュニケーションできます。つまり見た目はロボットですが、中身は人間です。この特徴を活かし、就労支援施設や学校、カフェなどにOriHimeを置き、従業員や常連客がどのようにロボットとコミュニケーションするかを観察しました。OriHimeの仕組みを理解していない人は、中身が人間だと気づきません。コミュニケーションする人が相手をロボットだと思いこんでいると、扱いがぞんざいになる場合があることがわかりました。
これからの社会では、ロボットと関わる機会はさらに増えていきます。映画やアニメでよく見る、ロボットと親密になりすぎることが本当に良いことか、という議論もより現実味を帯びてくるでしょう。そして社会におけるロボットとの接し方をうまくデザインするには、おそらくロボットだけ、テクノロジーだけを見ていてもだめなのです。アンコンシャス・バイアスを含む、テクノロジーを受容する側の社会のあり方や、人々のテクノロジーのリテラシーの問題などを包括的に扱う必要があると考え、研究を進めています。
また、OriHimeをつかった研究では、ドイツの研究所の方と進めています。個人のデータの扱いに関する、国ごとの違いが特徴的でした。ドイツでは「AV1」というロボットで社会実験を行っているのですが、欧州は『GDPR(EU一般データ保護規則)』があるため、個人データの取り扱いに厳格です。たとえば学校でAV1を導入する場合、導入側は、クラスの生徒たち全員から個人情報に関する同意を取り付ける義務があり、校庭などの教室外に設置することはできません。校庭に設置する場合は、全校生徒から同意書を取らなければならず、作業コストが膨大になるからです。個人情報の扱いがロボットの導入ハードルになるのが欧州です。一方日本は個人情報の同意が導入ハードルになることはあまりないですが、コスト面が議論の的になることが多い傾向があります。ロボットの導入にも国の制度が影響するのです。
人間の身体やマインドは、テクノロジーのように「スケールアップ」しない
私たちはよく、テクノロジーによって「知らないうちに便利になっている」と感じます。スマートデバイスはどんどん進歩し、次々に新しいサービスが生みだされています。しかし実際は、私たちは便利さと監視が紙一重の社会に生きているのです。
たとえばスマートフォンの地図アプリで目的地を調べ、ルート検索をするのは、もはや「時計を見て時間を確認する」程度に当たり前のことです。でも、地図アプリの裏では、私たちが何に関心を持ち、どのような行動をしているかといった個人のデータが全て開発元のテクノロジー企業に提供されているわけです。テクノロジー企業はそれらを「サービスをより便利にするため」という口実のもとに収集していますが、結果的にこの社会にもっとも大きな影響を与えているのは、それらテクノロジー企業です。私たちはいわば、テクノロジー企業の監視下・支配下に置かれているとも言えるわけです。
なかなか難しいことですが、これらの「監視的・支配的なテクノロジー」に対し、設計段階でプライバシーや人間の尊厳、人権、セキュリティ侵害の問題について検討することは、最終的には人間社会を守ることに繋がるはずだと私は考えています。
そしてテクノロジーを受け入れる社会にとって必要なことは、人間のプライバシーや尊厳を損なう怖れのあることについて、社会できちんと話題にする仕組みを持つということです。欧米では、アメリカの大統領選挙やイギリスのブレグジットにおいて、企業「ケンブリッジ・アナリティカ」の暗躍が、市民の投票行動に大きな影響を及ぼしたことがジャーナリストや研究者から指摘され、全世界的な話題になったことは記憶に新しいです。こうした、利便性という甘い言葉の裏にある事実をきちんと話題にすることは、人間社会とテクノロジーの健全な関係性において重要なことです。
プロジェクト「サイバネティック・ビーイング」が生み出そうとする、アバターロボットを活用する社会も、資本主義的な効率化、生産性の向上などに帰結しやすい側面があります。たとえば「アバターを使って1人で10人分働ける」なんて言われたら、「便利だから使ってみよう」となるわけです。しかし、それが本当に人間社会を良くするとは限らないということは、これまでの資本主義と人間社会の関わりを見れば明らかです。
身近なところでは、オンライン会議ツールによってますます忙しくなる社会の存在が問題視されています。現在の社会は、仕事を受けることに理由は必要ありませんが、仕事を断るには理由が必要だと言えます。この社会のまま、オンライン会議ツールというテクノロジーを普及させてしまったことで、隙間なく仕事ができてしまい、人はますます休みにくくなっています。多くの人が、かつては「別の仕事が入っていた」や「移動時間だから」という理由で仕事を断り、健全性を保っていたところがあったことに気づき始めています。
アバターについても同様の問題が起きると予想されます。つまり「アバターに入って来ることができるなら仕事してよ」や、体調が悪くて休んでいても、「アバターに入ればできるよ」と言われることがあるかもしれません。特に日本社会は同調圧力が強い社会ですから、「みんなアバターで来ているよ、あなただけ来ないの?」と言われたときに断固として「私は行きません」と言えるような社会の仕組みが必要になってくると思います。
テクノロジーのスピードに法律が追いつかないことはよく批判されますが、私たちの身体や精神、さらには感情が追いつけないことに、もっと敏感になるべきではないでしょうか。テクノロジーが進化しているのに昔と同じようなペースで働いていたら、体も心もズダボロになってしまいます。いくら便利でも、「それは人間にとって望ましい未来ではない」と言えることは大切なことだと思います。
当たり前を疑い、違和感を共有する場作りが必要
VRをはじめとするテクノロジーで、「自分ではない存在になる」ことは、これからの社会でよりリアルな人生経験になってくると思います。私はこの社会で、日本に生まれた女性であるという物理的・身体的な制約をもって生きています。しかしVRやアバターロボットに入ると、これらの制約を受けずに、さまざまな活動ができます。これによって、一生のうちに得られる体験を拡大できる、つまり人がより豊かになる可能性があると思います。
この可能性をより定着させるために、対応した社会システムをつくることは大切なことです。VRコンテンツを用いたワークショップ「VRでアンコンシャス・バイアスへの気づきを促せるか?:子育てを取り巻く仕事環境を考えるワークショッププロジェクト」では、VRコンテンツの体験だけではなく、意見を交換するワークショップが組み合わされていることが非常に重要なことだったと私は考えています。体験して得られた感想や考えを他者と共有し、場合によっては、社会の当たり前を疑い、変えていくような仲間と出会うことができる。あるいは違和感を確認し合っていく場があることは、高度なテクノロジーと共生するこれからの人間社会ではますます重要になってきます。
こうした、高度なテクノロジーが起こし得る問題に対処することのできる社会システムまでを構築して初めてプロジェクト『サイバネティック・ビーイング』が目指す「身体的共創」を社会に根付かせることができると私は感じています。
(聞き手・文 森旭彦、聞き手 小原和也)