Cybernetic being Visionとは、ムーンショット型研究開発事業 ムーンショット目標1「人が身体、脳、空間、時間の制約から解放された社会を実現」の達成に向けた研究開発プロジェクト「身体的共創を生み出すサイバネティック・アバター技術と社会基盤の開発」の研究開発推進を担う研究者の思考に迫り、きたるべき未来のビジョンをみなさんと探求するコンテンツです。
赤坂 亮太
大阪大学社会技術共創研究センター(ELSIセンター)准教授
1983年生まれ、東京都出身。産業技術総合研究所特別研究員などを経て、2020年4月より現職。学生時代から情報技術に関わる法・制度に関する研究を行ってきた。2012年にテレイグジスタンスロボット「TELESAR V」に出会い、ロボットが社会進出した時の責任問題を中心に研究活動を行いながら、ロボット法学会設立準備会を組織するなど、幅広い観点からロボットと法が関わる場面に関する研究に携わっている。
ウェブサイト:https://elsi.osaka-u.ac.jp/
いまの身体ではなく、新しい「もうひとつの身体」をつくる。「サイバネティック・ビーイング」が社会に生み出され、人々を豊かにするためには、倫理と法、そして社会的課題「ELSI」の検討が欠かせない。社会システム研究グループに所属する赤坂亮太は、身体が複数になり、経験や技能が融合し、流通する未来を“法と倫理の目”で見つめ、創造する。
ELSIが実現する、研究の対話と戦略
私は法律的な知見をAIやロボットの最先端の研究開発現場に提供することを活動として行ってきました。具体的には、研究開発の現場から並走し、「ELSI」(倫理的・法的・社会的課題〈Ethical, Legal and Social Issues〉)の知見を用いてガイドラインなどをつくることに取り組んできました。
近年、日本でもよく耳にするようになったELSIは、アメリカでは1990年のヒトゲノム解析プロジェクトの中に設置された研究プログラムに始まります。一般的には、社会に対し、研究開発の側からガイドラインを提示するために検討するものとして考えられています。
科学的研究というものはすべからく新規性に支えられています。それゆえ、既存の法体系や社会的な通念では、適切に権利を守ったり、社会的に友好な対話を促すことが難しい。それゆえ、研究開発の段階からELSIを検討し、適切な権利の保護を考え、不利益な批判に対応することが必要となります。昨今の研究開発現場では、研究の責任として位置づけられつつあります。
また、ガイドラインを設定するということは、戦略的にルールメーカーになるということです。ガイドラインをつくる際、既存の法律の観点と、社会倫理の観点、これまでに蓄積された社会議論を取り入れていきます。その際に重要になるのが、先行者によるガイドラインです。つまり、過去に類似した先行事例をつくった研究者や企業などが、どのようにガイドラインをつくり、実践したかを参照することになります。それらは参考になる事例であると同時に、未来の事例に対して倫理的な、一定の拘束力を持つものです。言い換えれば、先行者が強固なガイドラインをつくれば、利益を独占することもあり得るのです。
もっとも、過度に利益を独占するようなガイドラインは作成されるべきではありませんが、研究の知財を守り、未来につなげていくためには、公共の利益に配慮をした上で、ある程度は戦略的になる必要はあります。現在、人格的利益やプライバシーなどはヨーロッパのガイドラインの影響が強く、GAFAは国を超えて非常に影響力が強い印象です。
新しさを保護し、支える法
プロジェクト「サイバネティック・ビーイング」では、社会システム研究グループに所属しています。これまでの社会では存在しなかったサイバネティック・アバターという存在、そしてそこから生まれる経験共有社会という新しい社会において、どのようにして個人は権利を守り、法的責任を負うべきなのかを実践的に検討し、社会システムとして構築することが主たる関心です。
たとえば、経験共有研究グループの笠原俊一さんは、ロボットアームとバーチャルリアリティを使って、ひとりの人が、ふたりと卓球ができるプラットフォームを開発しています。こうした技術をベースとして「1対n」のコミュニケーションが可能なサイバネティック・アバターをつくっていくことが、プロジェクトのひとつのマイルストンとされています。またこうしたサイバネティック・アバターを通して、感覚の情報や技能を共有できる経験共有社会も模索されます。
しかし、私たちはそうしたアバターとこの社会で共存した経験もなければ、社会にある法体系はこうしたアバターの存在をベースには構築されていません。もちろん、急に法律をつくることはできません。研究開発段階から、既存の法体系による規制を受けることになるわけですが、それらが本当にふさわしいかを議論し、場合によっては法体系を変更するアクションを起こすことが求められることもあるでしょう。そこで、さまざまな研究者、市民活動の実践者などを巻き込み、マルチステークホルダーで研究を推進しています。
具体的な検討事項としては、著作権法があります。たとえば、技能の情報として、伝統工芸の超絶技巧を例に挙げてみましょう。職人の身体に宿っている動作情報は、著作権法で守られるでしょうか?
実は現行の著作権法では、保護するようにはなっていないのです。もしもこうした情報を電子的データとして流通するような社会を実現しようとすれば、ある種の知的財産権とし、プライバシーを保護するようなことが検討されるべきです。
さらに経験共有社会の実現には、何らかのプラットフォームを構築する必要があります。その際に、既存の強力なプラットフォームを使ってよいかという検討も行わなければなりません。既存の強力なプラットフォームを使うことは利便性は高くなる反面、問題もあります。海外では「プラットフォーム資本主義」、「データ資本主義」として、多数のユーザーを抱え、大量のデータを収集することで他の追随が不可能なほどの規模を持つ強力なプラットフォーマーのあり方が批判されているのです。こうしたことも事前に検討し、よりよい社会的利用のために、ガイドラインで検討を重ねることが必要です。
また、ガイドラインの検討では、プロジェクト「サイバネティック・ビーイング」と関係性の深い株式会社オリィ研究所の「分身ロボットカフェ DAWN ver.β」をケーススタディとして考えることも非常に有用だと感じています。分身ロボットカフェ DAWN ver.βでは、難病や重度の障害で外出困難な方が分身ロボット「OriHime」(オリヒメ)を通して働いています。彼ら彼女らも、もちろん法律で保護されています。
たとえば労働基準法で労働者として保護することになった場合、技術的にはトラブルは起こらないように配慮してつくられていますが、分身ロボットが何らかのトラブルを起こしたとき、どのように責任をとるのかなどを検討することになります。
将来的には、議論し検討したことによって生まれた自主規制ベースのガイドラインの一部を「サイバネティックビーイング法」として法律化していくことができれば良いと感じています。
法的観点からよりよいイノベーションを検討する
プロジェクト「サイバネティック・ビーイング」では、「質的な人間拡張」を標榜していますが、これを法的な解釈のもとで言い換えると、「人格の発露」の可能性が増えるということになります。
法的に人格を考えるためには、法律で身体をどのように考えてきたかを把握する必要があります。
憲法学や法哲学の観点では、基本的に身体はモノとして扱われます。極端な例ですが、身体の臓器は場合によっては他の人に譲っても良いわけです(臓器移植)。しかしそれらは厳密に制限が課されています。
また、フランスの法体系では身体は人格の発露にとって特殊なものと解釈されています。身体とは、私たちの人格を媒介する唯一のものであると考えられているのです。
したがってサイバネティック・ビーイングとして新しい身体が増えることは、人格の発露に社会的な変化が生じることと解釈できます。これがサイバネティック・ビーイングによるイノベーションです。
サイバネティック・ビーイングは、単に複数の身体が使えて便利になる社会の模索ではないのです。経験や技能など、自分が使えなかったものが付与されることで、新しい人格の発露ができる社会を実現することなのです。
こうした法的な理解も進めながら、研究開発を推進していくことが、より時代に合ったイノベーションの形になると思われます。それはすなわち、ELSIの文脈で言われている「RRI」(Responsible Research and Innovation:責任ある研究・イノベーション)の実現でもあります。
(聞き手・文 森旭彦、聞き手 小原和也)